大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和41年(ワ)12225号 判決

原告 森吉義旭

被告 栄光無線株式会社 外一名

主文

原告の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告は、「原告に対し、被告栄光無線株式会社は金四、九九七、〇〇六円、被告柴山文雄は金四、四一〇、〇〇〇円、およびそれぞれ右各金員に対する昭和四一年一一月二〇日以降支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

「(控訴事件の報酬請求)

一、(一) 原告は、東京弁護士会所属の弁護士であるが、昭和三九年六月、被告栄光無線株式会社より東京地方裁判所同三五年(ワ)第九、七二六号家屋明渡請求事件(原告東和産業株式会社、被告栄光無線株式会社、以下これを甲事件という)につき、被告柴山文雄より同裁判所同三六年(ワ)第三、三九二号所有権確認並びに土地建物所有権移転登記抹消登記手続請求事件(原告柴山文雄、被告東和産業株式会社・平塚三郎、以下これを乙事件という)につき、それぞれその控訴提起および控訴審における訴訟追行を依頼され、即日これを承諾し、右各委任契約が成立した。なお原告は、甲・乙各事件においても、甲事件については被告会社より応訴の訴訟追行を、乙事件については被告柴山より訴の提起および訴訟追行を、それぞれ委任されその事務処理に当つたが、右両事件は併合審理の結果、同三九年六月一五日、本件被告らがいずれも敗訴の判決を受けたので、引き続き、被告らより右のように控訴の委任を受けたものである。

(二) 右各委任契約の成功報酬に関し、同年八月原告と被告らとの間で、「成功謝金は、取得利益の二割とする。但し、成功とは、勝訴、和解・調停の成立をいう。被告らが原告の承諾を得ずして和解、請求の放棄、取下げをなし、又は他人に訴訟代理を委任し、もしくは被告らの都合で原告との間の委任契約を解除した場合は、委任事務処理の程度如何に拘らず、成功とみなして、右成功謝金全額を即日支払うこと」が約された。

二、原告は、右各委任契約に基づき、被告らの控訴代理人として東和産業株式会社・平塚三郎を被控訴人として控訴を提起し、同控訴は、東京高等裁判所同三九年(ネ)第一、五二四号事件として係属したが、原告がその訴訟追行に当つているうちに、被告らは、同四一年一〇月末頃、原告を介せず、東和産業株式会社と裁判外の和解契約を締結したうえ、独断で右控訴を取り下げた。よつて原告は、被告らに対し、前項の約定に基づき、成功とみなして成功報酬全額を請求しうるに至つた。

三、右成功報酬の金額は、つぎのとおりであり、この報酬額算定の基礎となる前記約定の「取得利益」とは、被告らが、右控訴事件において求めた裁判が全部容れられた場合に受ける経済的利益をいうものである。

(一)  (被告栄光無線関係)金四、六四九、四二〇円

左記(1) ないし(4) の取得利益の合計金二三、二四七、二〇一円の二割である。

(1)  金三、〇六八、〇〇〇円

甲事件において、東和産業株式会社(甲事件原告)は、被告栄光無線に対し、「昭和三三年五月二四日以降同被告が別紙目録〈省略〉記載の建物を明け渡すまで、一ケ月金三〇、〇〇〇円の割合による損害金」を支払うよう請求していた。同被告が右東和産業と裁判外の和解をしたのは、おそくとも同四一年一〇月末日であるから、同日までの八年五月八日間の右損害金は、合計金三、〇六八、〇〇〇円である。そして、前記控訴事件において被告栄光無線は、原判決を取り消し右損害金の請求を棄却する旨の判決を求めているので、同事件で同被告が全部勝訴した場合、右金員は同被告の取得利益となる。

(2)  金一七、一八六、九九七円

被告栄光無線は、前記控訴審において、右東和産業に対し、「別紙目録記載の建物を明け渡し、かつ、昭和三九年六月一八日以降右明け渡し済みに至るまで、一ケ月金六〇四、四七〇円の割合による損害金」の支払いを求めている。これは、甲事件の仮執行宣言付判決の執行力ある正本に基づき、東和産業が、同三九年六月一八日同被告に対し、別紙目録記載の建物につき明け渡しの強制執行をなしその引き渡しを受けたが、これにより同被告が蒙つた逸失利益などの損害を控訴審において請求したものである(民訴法第一九八条第二項参照)。そして、同日以降同四一年一〇月末日まで二年四月一三日間の右損害は、合計金一七、一八六、九九七円であり、同被告が控訴審において全部勝訴した場合、右金員は同被告の取得利益となる。

(3)  金一、〇六五、八二九円

被告栄光無線は、右控訴事件において、東和産業に対し、「金九五二、九三四円およびこれに対する昭和三九年六月一八日以降支払い済みまで、年五分の割合による遅延損害金」の支払いを求めた。これも、右仮執行宣言付判決による強制執行の結果、同被告が蒙つた物件破損等の損害につき、民訴法第一九八条第二項に基づき控訴審において請求したものである。そして、同日以降同四一年一〇月末日まで二年四月一三日間の右損害金は合計金一一二、二九〇円であり、これと右元金の合計金一、〇六五、八二九円は、同被告が控訴審において全部勝訴した場合に得る取得利益である。

(4)  金一、九二六、三七五円

被告栄光無線は、右控訴事件において、東和産業に対し、「金一、七三七、九三〇円およびこれに対する昭和三九年九月一日以降支払い済みまで、年五分の割合による利息」の返還を求めた。これは、東和産業が同三九年七月二三日前記仮執行宣言付判決(のうち前記損害金請求の一部を認容した部分)の執行力ある判決正本に基づき、被告栄光無線の訴外マーベル株式会社に対する金一、七三七、九三〇円の売掛金債権を差し押え、同年八月一五日同債権の取立命令を取得して、同年九月一日これを取り立てたが、この取り立てた金員につき、民訴法第一九八条第二項により、その返還を求めたものである。そして、同日以降同四一年一〇月末日まで二年一月三〇日間の右利息は、合計金一八八、四四五円であり、元利合計は金一、九二六、三七五円となる。同被告が控訴審において全部勝訴した場合、右金員は、同被告の取得利益となる。

(二)  (被告柴山関係)金四、四一〇、〇〇〇円

左記(1) ・(2) の取得利益の合計金二二、〇五〇、〇〇〇円の二割である。

(1)  金二〇、六五〇、〇〇〇円

被告柴山は、前記控訴事件の控訴人として、同事件の被控訴人東和産業に対し、原判決の取り消しと、別紙目録記載の土地につきなされた東京法務局品川出張所昭和三二年一〇月一九日受付第一九、六五九号所有権移転請求権保全の仮登記、同三三年五月二三日受付第九、一五〇号所有権移転登記の各抹消登記手続きを、同被控訴人平塚三郎に対し、原判決の取り消しと、右土地につきなされた同法務局同出張所同三一年一〇月二二日受付第一、九五五号所有権移転登記の抹消登記手続きを、それぞれ求めた。右請求が全部認容された場合、被告柴山は、右土地につき完全な所有名義を回復することになり、その結果同土地の時価相当額の利益を受けるものである。同四一年一〇月(本件裁判外の和解のなされたとき)現在右土地は一坪(三・三平方メートル)当り金一〇〇、〇〇〇円で、合計金二〇、六五〇、〇〇〇円相当であるから、同被告が右請求につき全部勝訴した場合、右金額は、同被告の取得利益となる。

(2)  金一、四〇〇、〇〇〇円

前記控訴審において、被告柴山は、東和産業に対し、原判決の取り消しと、別紙目録記載の建物につきなされた、同法務局同出張所同三二年一〇月一九日受付第一九、六五九号所有権移転請求権保全の仮登記同三三年五月二三日受付第九、一五〇号所有権移転登記の各抹消登記手続きを、平塚三郎に対し、原判決の取り消しと、右建物につきなされた同法務局同出張所同三〇年七月一五日受付第一〇、六九七号所有権移転登記の抹消登記手続きを、それぞれ求めた。右請求が全部認容された場合、被告柴山は、右建物につき完全な所有名義を回復することになり、その結果同建物の時価相当額の利益を受けるものである。同四一年一〇月末日現在右建物は一坪(三・三平方メートル)当り金二〇、〇〇〇円で、合計金一、四〇〇、〇〇〇円相当であるから、同被告が右請求につき全部勝訴した場合、右金額は、同被告の取得利益となる。

(強制執行取消申請事件の報酬請求)

四、(一) 前記のように、東和産業株式会社は、甲事件の執行力ある仮執行宣言付判決正本に基づき、被告栄光無線に対し、同被告の訴外マーベル株式会社に対する金一、七三七、八三〇円の売掛金債権を差し押えたので、同被告は、昭和三九年八月二日原告に対し右強制執行の取消決定を得ることを依頼し、原告は、これを承諾した。そこで原告は、東京高等裁判所に対し前記控訴提起に基づく右強制執行取消決定を申請し(同裁判所同三九年(ウ)第七七四号)、同月二〇日、同被告が金五〇〇、〇〇〇円の保証を供託することを条件とする右強制執行取消決定を得た。

(二) もつとも、同被告が、金五〇〇、〇〇〇円を供託しなかつたため、右取消決定は効力を生じなかつたけれども、これは、同被告の責に帰すべき事由に基づくものであるから、原告は、右委任契約の手数料および成功報酬を請求し得る。

(三) 右手数料および成功報酬については、黙示にて東京弁護士会の弁護士報酬規定による旨合意されていたところ、同規定によれば、強制執行取消手続きについては、目的物の価額又は受ける利益の価額が金五、〇〇〇、〇〇〇円以下の場合、手数料・成功報酬は、それぞれその八分ないし二割とされている。本件の場合、その最高率によるのが相当であるから、同被告は、原告に対し金一、七三七、九三〇円の各二割の合計金三四七、五八六円の手数料および成功報酬金を支払う義務がある。

五、よつて原告は、被告栄光無線に対しては、甲事件の控訴事件の成功報酬金四、六四九、四二〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二〇日(成功とみなすべき事由の発生した日がこの履行期であり、本件裁判外の和解および控訴の取下げは、同日より前になされた)以降支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金と、前項の手数料および成功報酬合計金三四七、五八六円および同日以降(この履行期は、本案である前記控訴事件の終了の日である)支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告柴山に対しては、乙事件の控訴事件の成功報酬金四、四一〇、〇〇〇円およびこれに対する同日以降支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。」と述べ、

被告らの後記主張第二・三項の事実を否認し、控訴事件の結果の見通しおよび和解の希望を実現させなかつたとの点について、「本件控訴審においては、被告らは勝訴することが一見して明白であつた。従つて被告らの利益のために、原告は、被告らの和解の希望に応じなかつたものである。」と反論した。

証拠〈省略〉

被告ら訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁および主張として、

「一、請求の原因第一・二項の事実は認める(但し、原告主張の裁判外の和解および控訴の取り下げが、みなし成功の事由となることは否認する。)。

同第三項につき、原告主張の計算の前提事実は、別紙目録記載の土地・建物の時価を除いて、認める。右土地・建物の価額は、昭和四二年三月現在合計金二一、四六〇、〇〇〇円相当である。本件報酬の特約にいう「取得利益」が原告主張の経済的利益を意味すること、および原告算定の金額が右特約の取得利益と評価されることは争う。

同第四項(一)の事実は認める。同項(二)の事実中、被告栄光無線が金五〇〇、〇〇〇円を供託しなかつたこと、同決定の効力が生じなかつたことは、認めるが、その余の事実は否認する。同項(三)の事実は否認する。

二、(みなし成功報酬の特約の適用について)

原告主張のいわゆるみなし成功報酬の特約は、依頼者が、弁護士の専門的知識・経験に基づく紛争解決のための努力の結果を無料で享受し不当な利益を受けることを防止するところに目的があり、その限りでは正当かつ必要な約定である。しかし、このような特約のある場合でも、依頼者は、弁護士の故意・過失又は能力的・性格的欠陥によつて生じ得る不利益を常に甘受しなければならぬといういわれはなく、依頼者がこのような不利益を受ける虞れのある場合には、そのような弁護士を解任したり当事者間で和解をし訴を取り下げたりする等の自由を有するものであることも、委任の本質上明らかなところである。このように考えると、本件の如きみなし成功報酬が成立するためには、形式的にみてそれに該当する事由が存在するだけでなく、実質的にみて、(イ)依頼者による事件の解決と弁護士の訴訟追行の努力によつて生じた有利な結果との間に因果関係があること、又は少なくともかような有利な結果が生じていたこと。(ロ)依頼者に報酬支払いを免れる意図があつたか、もしくは弁護士に無断で事件を解決することを相当とする特段の事情が存在しないこと、の二要件を具備する場合に限るものと考えるべきである。本件の場合、本件控訴事件の第一審たる甲・乙事件においても原告が受任し(弁護士貝塚次郎も原告とともに受任したが、訴訟の見とおしにつき原告と意見が対立し、実質的な訴訟行為は全くしなかつた)、訴訟追行に当つたものであるところ、右事件における本件被告らの主張・立証およびこれに対する判断は、同事件の判決(乙第二号証)に記載されているとおりであり、被告らの主張自体到底採用される見込みはなかつたばかりでなく、右第一審事件係属前、その紛争について被告栄光無線は東和産業を相手方として大森簡易裁判所に調停を申し立て、右調停において、別紙目録記載の建物を同被告が買い戻すことで紛争の解決が図られ、その代金として、東和産業は金五、〇〇〇、〇〇〇円を主張し、被告栄光無線は金三、〇〇〇、〇〇〇円と主張して遂に合意に達せず不調となつた経緯があり、このようなことから、訴訟となつてからも、被告らは原告に対し極力和解により解決を図ることを希望し、度々そのことを申し出たが、原告はその主張の相当性を顧慮することなく、被告らの勝訴疑いなしとして和解の懇請を一方的にしりぞけ、強気一方の訴訟追行をしたため、一審では被告らの完敗に帰し、その結果、第一審判決の三日後である同三九年六月一八日には、東和産業により別紙目録記載の建物の明け渡しの仮執行をうけ、被告栄光無線は操業停止のやむなきに至り、さらに、同年八月三一日には、同被告は、東和産業により、金一、七三七、九三〇円に上る売掛金債権の取り立ての仮執行まで受けた。しかもこれらの仮執行は原告がその停止のための努力をしなかつた結果実行されたものである。このような事実からすれば、右第一審判決の結果、被告らの立場は一段と不利になり、訴訟の結果に対する見通しについても、被告らに重大な挫折感を与えたものであつて、その後和解が成立したとしても、その条件が、被告らに著しく不利になつたことは推測に難くない。そうすると、原告に訴訟追行の努力があつたとしても、結果的には被告らを不利益な立場に陥らしめたものと言うべく、前記(イ)の要件を欠くものと考えられる。さらに、原告は、本件控訴審においても、一審における主張・立証をくりかえすだけでありながら、控訴事件受任当時、一年内には被告に有利に解決する旨確約しながら、一年を経過しても解決の見通しはなく、しかも被告らは、前記明け渡しの仮執行の結果、解決が遅れることにより積極損害が増大する事情にあり、原告にこの事情を述べ和解による早期解決を訴えても、原告は「金二、〇〇〇、〇〇〇円又は金二、五〇〇、〇〇〇円程度で買い戻す案なら考えても良い」など、実現不可能なことを言つて、被告らの和解希望を抑圧した。そのため、被告らは原告に対する信頼を失い、原告の指示に従うことを不可と考え、東和産業と直接交渉の結果、同三九年一〇月末日頃、裁判外の和解契約をし、控訴を取り下げたものである(右和解の内容は、東和産業は、別紙目録記載の土地・建物を代金八、五〇〇、〇〇〇円で被告柴山又はその指定する者に売り渡すことというものであり、その結果、被告柴山が土地を、被告栄光無線が建物を、それぞれ買い受け、代金を完済し、登記手続も経由した。)。以上のとおり、被告らの立場を考慮すれば、被告らがこのような措置に出たことは無理からぬところであり、もとより報酬支払いを免れる目的でなしたものではなく、かかる措置を不相当とはなし得ないから、前記(ロ)の要件を欠くものと考えられる。よつて原告は、本件裁判外の和解および控訴取下げをもつて、成功とみなして成功報酬を請求することはできない。

三、(報酬の特約にいう取得利益について)

仮に被告らに成功報酬支払い義務があるとしても、その基礎となる「取得利益」は、原告主張の如く高額ではない。まず、甲事件関係の原告主張(2) ないし(4) の金員は、いずれも第一審判決に基づく仮執行の結果による損害金又は不当利得の返還請求であるが、これは、第一審についても受任し敗訴の結果をもたらした原告が当然なすべき回復措置であり、これが認容されることによつて被告栄光無線が積極的に利得するものでもなく、まず一審で敗訴した後控訴審において勝訴する方が報酬が増加するというのも不合理であるから、取得利益に加えるべきではない。次に、前記のとおり、本件訴訟前の調停において、東和産業は、別紙目録記載の土地建物を合計金五、〇〇〇、〇〇〇円で被告らに売り渡し、これにより紛争を全面的に解決することを承諾していたのであるから、被告栄光無線が甲事件に応訴したのは、右五、〇〇〇、〇〇〇円の支出をおしんだからに外ならない。従つて、同被告が右事件に勝訴したとしても、実質的には金五、〇〇〇、〇〇〇円の支払いをまぬかれる利益がもたらされるにすぎないのだから、取得利益は、多くても同額を超えないものと考えるべきである。

四、(執行取消決定申請事件の手数料・報酬について)

(一)  被告栄光無線は右事件委任の時、印紙代の名目で原告に対し金三〇、〇〇〇円を支払つた。右事件の印紙は金一〇〇円を貼用すれば足るのであるから、金三〇、〇〇〇円は、実質的には手数料として約され、支払われたものである。

(二)  報酬については、右事件は、甲事件の敗訴の結果必要となつたものであるところ、原告は、甲事件は勝訴すると確約して受任したので、約に反して敗訴した場合にその結果を原状に復すことは原告の義務と言うべく、執行取消決定の取得は、その義務の履行にすぎないから、報酬を請求することはできない。

仮にそうでないとしても、原告が執行取消決定を取得したのは昭和三九年八月二〇日であり、それ以前の同月一六日には、被告栄光無線に対し、東和産業による債権取立命令が送達されていた。そこで被告柴山は原告に対し電話でその旨連絡したところ、原告は、これを転付命令と感ちがいしてか、その後執行取消決定を得てもそのまま放置したため、被告栄光無線は、右取消決定の出たことを知らず、原告主張の供託をせず、執行取消決定の効果を生ぜしめることができなかつた。従つて、原告の責に帰すべき事由によつて同事件は奏功しなかつたのだから、成功報酬は請求できない。

五、(弁済の主張)

仮に以上の主張が理由がないとしても、被告らは本件裁判外の和解および控訴の取り下げ後原告に対し本件全委任契約の謝礼として、額面金三〇〇、〇〇〇円の小切手を送付し原告はこれを受領した。」と述べた。

証拠〈省略〉

理由

一、控訴事件の報酬請求について

(一)  原告は、東京弁護士会所属の弁護士であり、原告主張の頃、被告栄光無線株式会社との間で甲事件につき、被告柴山文雄との間で乙事件につき、それぞれの控訴提起および訴訟追行を目的とする訴訟代理を受任し、原告主張の内容の成功報酬の特約を締結したこと、そこで、原告が右控訴を提起して、これが東京高等裁判所昭和三九年(ネ)第一、五二四号事件として係属中、被告らが、同四一年一〇月下旬原告を介せず右事件の被控訴人であつた訴外東和産業株式会社と裁判外の和解をなし、右控訴を取り下げたこと、以上のことは、当事者間に争いがない。

(二)  ところで、右報酬契約には「被告らが原告の承諾を得ずして和解……取り下げをなし……た場合は、成功とみなして右成功謝金全額を支払う」とあるのみで、無断の和解・取り下げに至る事由については、なんらの限定もなされていない。しかし、原告が所属する東京弁護士会制定(昭和三九年一月一日改正施行)の弁護士報酬規定(成立に争いない甲第七号証)によれば、その第五条に「依頼者が受任者の責によらない事由で……無断で取下……和解等をなし……たときは成功と看做し……」とあつて、この規定は、所属弁護士の必ず遵守すべきものとされているのであり、このことと委任契約に特有の信義則を考慮するならば、本件報酬契約においても、依頼者の無断和解・取り下げ等が受任者の責に帰すべき事由によるものであるときは、みなし成功報酬の特約は、適用されないものと解するのが相当である。そして、被告らも、詰まるところ右と同旨の主張をしているものとみることができる。

(三)  よつて、この点を検討するに、前記争いのない事実と、成立に争いのない甲第九号証、乙第二・三号証、同第四号証の一(甲第九号証の謄本)・二、同第五号証の一・二、同第六号証、証人鎌田長次郎の証言、原告(一部)・被告会社代表者兼被告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を合わせ考えると、つぎの事実を認定することができる。

1  別紙目録記載の土地・建物は、従来被告柴山の所有であり、被告栄光無線は、被告柴山より右建物を賃借し工場として使用していたが、訴外平塚三郎は、右土地・建物に対する抵当権の実行の結果これらを競落して所有権を取得し、訴外東和産業株式会社は、昭和三三年五月二三日平塚より右土地・建物を買い受け所有権を取得したと各主張して、その頃から、右競落の無効を主張する被告らとの間に、紛争を生じた。被告らは、東和産業を相手方として、大森簡易裁判所に土地建物調停を申し立てたが、東和産業は、土地建物の買戻代金を金五、〇〇〇、〇〇〇円と主張し、これを三、〇〇〇、〇〇〇円とする被告らとの間に合意ができず、不調となつた。

2  ついで東和産業は、被告栄光無線を被告として、右建物所有権に基づく建物明け渡しおよび使用損害金請求の訴を提起し(甲事件)、被告栄光無線は、右事件の訴訟追行を原告に依頼し、原告は、平塚の前記競落は、実体を欠く抵当権の実行に基づくもので無効であるから、東和産業も建物の所有権を取得しない、仮にそうでないとしても、被告栄光無線は、右建物につき使用借権などの占有権原を有する、仮にそうでないとしても、東和産業の所有権取得行為は、公序良俗に違反し、あるいは、右明け渡し請求は、権利の濫用であつて許されない旨主張して抗争した。

3  一方被告柴山は、被告栄光無線の代表取締役であるが、右土地・建物の真実の所有者であるとして、原告に委任して、平塚・東和産業等を被告として、右所有権確認および右土地・建物につきなされた平塚や東和産業の所有権移転登記等抹消登記手続請求の訴を提起した(乙事件)。

4  被告らは、右各訴訟委任の際、当初より原告に対し、和解による解決をふくむよう依頼し、その後も機会あるごとにその希望を伝え、被告柴山自からも、訴外鎌田長次郎を通じて東和産業に和解の意向を打診し、東和産業は、必ずしもこれを拒否するものでなかつたが、原告は、訴訟の見通しに強気の見解を有し、第一審においては、和解の機会を持つたことなく、昭和三九年六月、甲、乙両事件は併合審理の結果、東和産業の請求する損害金について一部減額棄却されたほかには、被告らの主張は採用されるところとならず、被告ら敗訴の仮執行宣言付判決がなされた。右第一審においては、訴外貝塚次郎弁護士も、被告らより訴訟委任を受け原告とともに共同代理人となつたが、同弁護士は、強気の見解を有する原告と意見を異にし、そのため、実質的な訴訟行為はしなかつた(甲・乙両事件について、右のとおり訴訟委任契約がなされ、被告ら敗訴の判決がなされたことは、当事者間に争いがない。)。

5  被告らは、右敗訴判決に対し控訴することとし、その際、原告が控訴審では勝訴疑いないとすすめたこと、証拠書類を原告が保管していたことなどから、再度原告に控訴提起および訴訟追行を依頼し、原告は、本件控訴を提起したが、被告柴山は、第一審判決の仮執行として、東和産業より被告栄光無線が工場として使用する本件建物明け渡しの強制執行をうけ、操業停止のやむなきに至り、これによる損失が累積し、また、被告会社の訴外マーベル株式会社に対する金一、七三七、九三〇円の売掛金債権の取り立てもうけ、控訴審の訴訟の結果については、少なからず不安をいだき(被告柴山は、前記貝塚弁護士など二、三の弁護士から勝訴することは困難な旨教示されていた)、なお和解による解決を希望し、原告も、時機をみてそのようにすると答えた。

6  同四〇年六月末頃、和解の打ち合わせのため、有楽町内の料理屋において、被告柴山夫妻と原告が、従来より東和産業との連絡をしていた鎌田長次郎をまじえて話し合つたが、一審敗訴の結果を考慮しない原告の強気の意見が原因で進展をみず、さらに、同じ頃、東和産業の訴訟代理人であつた訴外岡野勇弁護士と、和解の打診のため第二東京弁護士会館において被告柴山夫妻・原告・岡野弁護士・鎌田らが参集する機会をもつたが、原告は、都合がつかないことなどを理由にして欠席した。

7  かようにして、被告柴山は、次第に原告を介しては和解の望みはないと考えるに至つたが、同年九月末頃、さらに原告に対し、電話で、東和産業との間で金八、五〇〇、〇〇〇円の買戻代金額で、和解の可能性があることを告げ(これは、後に成立した裁判外の和解と同じ金額である)、重ねて和解による解決を希望したが、これをも、原告に、金額が高額に過ぎることを理由に拒絶され、その時、ついに、「勝手にしろ」「勝手にする」などのやりとりにまで発展し、このようなことから、被告柴山は同年一〇月末頃、原告の助力をまたずに、被告らが代金八、五〇〇、〇〇〇円で東和産業より本件土地・建物を買い戻す内容の裁判外の和解契約を締結し、同じ頃、前記控訴を取り下げた。

以上のことを認定することができ、原告本人尋問の結果のうち、右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。原告が、控訴審において勝訴の自信を持つていたため和解手続をすすめなかつたものであることは、原告の自認するところであり、原告が事件の見とおしについて、極めて強気であつたことは、当裁判所の審理の過程によつても、顕著にうかがい知ることができる。

(四)  しかして、弁護士は、高度の法律的知識・経験を有すべき専門家であるから、訴訟の委任者から和解による解決を依頼された場合でも、直ちにこれに盲従することなく、その適否を検討し、和解の時期・内容等につき適切な助言をするなど依頼者の利益を図ることに努むべきはいうまでもない。

しかし、このような努力を尽くさずして、和解の依頼を拒むことは許されないし、また、右の努力を尽くしても、なお、依頼者が和解をすすめる意向を示すときは、これに従い、最善の排置をとるべきが受任者の義務である、といわなければならない。

(五)  本件の場合、右に認定のごとく、被告らは、一審の甲・乙両事件でほぼ全面的に敗訴したうえ、その仮執行の結果、被告柴山経営の被告栄光無線は、高額の売掛金債権の取り立てをうけたほか、工場操業停止のやむなきに至り、そのための損害が累積していく立場に追い込まれたものである。従つて、このような場合、被告らから和解による解決の依頼を受けた原告としては、たとい控訴審で勝訴の見込みを持つていたとしても、右敗訴の一審に自ら関与したことや仮執行の被告らの窮状に思いを至し、いたずらに自己の主観的確信にこだわることなく、被告らのため早期に、かつできる限り有利な和解の成立を図るように努めるべきものであり、ましてや、被告らから右認定のごとく、再三にわたる和解の依頼を受けた以上、これに従い、右の努力をすべきが受任者の義務であるというべく、このことは先の説示((四)項)から明らかなところであろう。しかるに原告は、前叙のように右の努力をせず、むしろ被告らの和解の依頼をかたくなに斥けて来たのであるから、右判示の受任者の義務に違背したものというべく、従つて、被告らが原告を介せず、和解・控訴の取り下げをするに至つたのもやむを得ないことといえよう。

このような場合には、既に説示の理由((二)項)によつて、本件みなし成功報酬の特約条項の適用は無いものと考えられる(また、右のように受任者の責に帰すべき事由によつて委任が中途終了するに至つた場合には、受任者は、割合による報酬をも請求し得ないものと解される。)。従つて、右特約に基づき成功報酬の支払いを求める原告の請求は、その余の判断をするまでもなく、失当として棄却をまぬかれない。

二、強制執行取消申請事件の手数料・報酬の請求について

(一)  原告と被告栄光無線との間で、原告主張の強制執行取消申請事件につき委任契約が締結されたこと、原告が、同主張のとおり、強制執行取り消しを申請し、同年八月二〇日被告栄光無線が金五〇〇、〇〇〇円の保証を供託することを条件とする強制執行(債権差押)取消決定を得たことは、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第七号証および弁論の全趣旨によれば、訴訟委任の際の報酬は、通常いわゆる着手金(手数料)および成功報酬(謝金)として支払われ、右の着手金は、事件の成功不成功にかかわらずに支払われる報酬と、委任事務処理費用の前払いの両者の性質を有し、成功報酬は、これとは別に、事務処理が成功した場合に支払われる報酬の性質を有するものと認められ、本件の場合も、これと事情を異にするものとは認められない。

(三)  右の手数料について考えるに、委任契約の際、被告栄光無線が、印紙代の名目で原告に金三〇、〇〇〇円を支払つたことは、原告において、明らかに争わないので自白したものとみなすべく、本件の如く、目的の価額が金一〇〇、〇〇〇円を超過する場合、申立書には、金三〇円の印紙を貼用すれば、足りるのであるから(民事訴訟用印紙法第六条の二第八号)、その金額は金二九、九七〇円となるところ書類の作成、謄写、送付あるいは裁判所への出頭などの費用は、本件執行取消申請事件では極めて少額で足りるのであるから、これらを控除しても、右金額は、手数料中の報酬部分として不相当な額とは認められない。

従つて、特別の事情の立証がない以上、前記金員は、いわゆる手数料の趣旨で支払われたものと解するのが合理的である。よつてその支払いを求める原告の請求は、理由がない。

(四)  成功報酬については、明示の特約を認定し得る証拠はないが、弁護士に事件処理を委任する場合には、特段の事情のない限り、当事者間に成功報酬を支払うべき黙示の合意があつたものと推認すべきところ、本件では、右特段の事情は認められない。

ところで、被告栄光無線は、右取消申請は、甲事件の敗訴の結果に対する原告の原状回復義務の履行としてなされたものであるから、報酬支払いの義務はないと主張するが原告が甲事件に勝訴すると確約したというだけでは、その敗訴の結果につき原状回復義務があると解することはできないので、失当である。

つぎに、同被告は、原告の帰責事由で金五〇〇、〇〇〇円の保証を供託し得なかつた結果、結局右事件は成功しなかつたから、報酬支払い義務はないと主張する。そして、同被告が右供託をせず、取消決定が実効をおさめなかつたことは、当事者間に争いがない。そこで考えるに、原告は、前記のごとく立保証を条件とする強制執行取消決定を得たのであるから、直ちにその旨を被告栄光無線に連絡し、もつて、同被告が現実に執行処分取消手続をとり得るように配慮すべきであり、このような配慮が、執行処分取消手続まで受任したかどうかはさておき、受任事務の範囲に属することはいうまでもないことであろう。しかるに、原告が右の措置をとつたことを認め得る証拠はなく、かえつて、成立に争いない乙第五号証の一・二、同第六号証と被告会社代表者兼被告柴山本人尋問の結果によれば、被告栄光無線の代表者たる被告柴山は、右執行取消決定前に、その主張のごとく債権取立命令の送達を受け、その旨原告に連絡しておいたのに、原告からは右執行取消決定の発せられたことにつき、なんの連絡もなかつたので、保証金を供託する機会もないまま、その後、東和産業より差押債権全額の取り立てを受けるに至つたことが認められるのである。

従つて、原告は、受任事務の履行を果したものではないというべく、単に右のごとき執行取消決定を取得したのみで依頼の目的を達したとして成功報酬を請求することはできない、といわなければならない。

三、結論

以上の次第であるから、その余の争点を判断するまでもなく、原告の請求は、いずれも理由がないので棄却し、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柏木賢吉 佐藤邦夫 加藤英継)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例